中国は国ごと会社だと考えればよいという説 (2017.10.17)

多文化人材情報センターの中津さんのコーディネーションで、2泊3日の弾丸北京ツアーに行ってきた。

一見ボロボロのバイクや三輪車はほとんど電動で、GPS付きのレンタル自転車が瞬く間に生活インフラとなり、アリペイやWeChatはキャッシュレス決済機能を装備し、ランチもネットで注文してオフィスに届けてもらうのがスタンダードな先進都市だった。

一方でインターネットは制限され、街角には共産党のスローガンがあふれ、五つ星ホテルのフロントのお姉さんには笑顔がなく、観光客相手のタクシードライバーは近距離お断りだった。

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中国は国ごと会社だと思えばよい。

社会主義の理念のポスターは会社の理念や社是だと思えばよいし、「党員アイドル」というタイトルで掲示されている模範的な労働者は表彰された社員である。

国家の方針や将来の希望で埋め尽くされた新聞は社内報で、共産党トップの談話は社長談話だ。

メールの監視も会社の中では一般的だし、旅行の申請も出張申請だと思えばよい。

レストランの無愛想な接客も社員食堂だと思えば余計な愛想はいらないと納得できる。

 

このように書くと妙に納得してしまうが、次の疑問は会社とはそういうものでいいのかということだ。

リーダーのもとで力を合わせて活動するとき、監視・束縛・強制といった個人の自由を制限することは必然なのだろうか。

国でも会社でも順調に成果が上がっているときは不自由さは顕在化しない。

思うような成果が出なくなったり、忙しすぎて体を壊したり、心に余裕がなくなったとき、組織の方針に異を唱えたくなる。

そんなときに発言や行動の「自由」が認められることが、自由な社会・組織と言えるだろう。

 

権威に対して異なる意見を堂々と言えるかどうか。

日本の社会では建前としてその権利はあるとしても、メンバーの総意という「空気感」を背景にした「出る杭は打つ」という無言の圧力がかかる。

総意からはずれた意見、独特の意見は一笑に付され、チームプレーができないやつとのレッテルが貼られる。

賛同者が得られずに、組織を離れることを余儀なくされることも少なくない。

たぐいまれなエネルギーの持ち主であれば、泥沼の権力闘争に持ち込むことはできるかもしれない。

しかしそれでは一党独裁政権と同じである。

 

発言や行動の自由とは、自分と異なる意見に対して聞く耳を持つことである。

それを受け入れるかどうかは別として、いったんは議論の土俵に仕上げ、吟味し、理由付きでイエスかノーを判定するプロセスをたどることである。

自由を実践するということは、自分勝手に生きるとか、自分の意見をなんとしても通したいということではなく、自分とは違う考え方に対して門戸を開くこと、はやりの言葉で言えばダイバーシティの精神を持つことである。

個人の多様性を認めた組織マネジメントは理念としては崇高であるが、めちゃくちゃ面倒くさい。

「働き方改革」が要求していることは、こういうことだと思う。

 

面白いのは、会社組織の中では中国の方が個人の多様性を認め、自由に仕事をしているように感じることである。

自由を制限している国の会社の自由度が高く、自由であるはずの国の会社が不自由だというのはなんたる皮肉だろう。

自由と束縛。

組織マネジメントを考える視点がまたひとつできた有意義な旅だった。

 

※中国報告会を21日(土)のオープン勉強会で行います。

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