『歴史を哲学する』野家啓一【ロリケン#1】 (2019.2.28)

マーケティング研究会(まーけん)を始めてかれこれ9年。実体がマーケティングの話題に限らなくなり、かつ興味の矛先が変わってきたので、「論理と倫理研究会(ロリケン)」に改称。 「倫理」を持ち出したのは、ビジネスには論理では語れない、愛や正義といった本来的に大事にすべきものがあるよね、ということ。結果、なんでもアリの会になった。
 
第1回目で取り上げたのは『歴史を哲学する』(野家啓一、岩波現代文庫、2016年)。歴史について、わたしとあなたが「なるほど、それはそうだね」と共通認識を持つにはどうすればよいか。そもそもそれは可能なのか。 そのような「歴史の認識論」が本書のテーマである。
 
 関西には歴史好きの人がたくさんいて、京都で「この前の戦」というのは応仁の乱のことを指すというジョーク(本気?)があるほど。道産子のわたしは、歴史感心度は低いと言わざるを得ないが、歴史が過去のできごとの記述とすれば、ビジネスは歴史探索に満ち溢れた活動である。企業の沿革、社史、ケース事例、あるいは仕事の日報もそのひとつといっていいだろう。「お客さんの話し方や態度から、今回は他社に発注する可能性大」などの報告は本当か、ということ。過去のできごとを記述することは、すべて「歴史の認識論」の壁を超えなくてはいけない。それは本当なんですか?という問いに答えないといけない。
 
そもそも、過去そのものを目の前に提示することができないのだから、わたしたちは事実と思われることを選択的に拾い上げなければいけないというのが議論の出発点。そのうえで、単に個々のエピソードを並べるだけでなく、それぞれを関連付けて統一的な意味を与える「物語り」として語られるべきだというのが野家氏の主張。「物語り」は、決して他論を許さない固定的な「物語(ストーリー)」ではなく、語り手によりさまざまに「物語る」ことができるもの。したがって、送り仮名の「り」をつけることに氏はこだわっている。
 
当然、わたしとあなたの拾い方は違う。社史をつくるとき、どのエピソードを拾い、それぞれの因果関係や顛末をどう記述するか、担当者は頭を痛めるはずだ。同じ商談でも人によって日報の記述は異なる。
 
応仁の乱にせよ、社史や日報にせよ、どのようなエピソードをどのように関連付けるか、さまざまな語り方があるということだ。そのエピソードの拾い方や関連付け方が勝手気ままでいいのかというと、そういうことではない。少なくとも、今現在残されている手がかり(お城の遺跡とか、古文書とか、過去の売上データとか)から合理的に導かれる語られ方があるはずで、それが多くの人に共有されてはじめて、「なるほど、それはそうだね」という共通認識にいたる。
 
野家氏が糾弾するのは、「これはこうに違いない」「こうあるべき」といった信条やイデオロギーが先にあって、それに都合のよい”事実”を集めて歴史を構成すること。日本は美しい国であるという前提に立ち、それを説明する過去のエピソードを組み合わせることはプロパガンダ(宣伝)に過ぎない。今手にすることができる遺跡や文書などから、常に新しい「物語り」を探求し、新たな解釈が生まれる可能性を残しておく思考態度が「歴史を哲学する」ことなのだ。ある新事業に肩入れするばかり、都合のよい情報しか目に入らず、ブレーキがかからなくなってしまうようなことを避けるために、現実の情報を広く集め、新たな解釈をしつづけるべきなのだ。
 
とは言いながら、ある歴史的事件の真相がどうだったのか、解釈が分かれることはいくらでもある。第二次大戦中にアジアで日本軍がどれほど反人道的なことをしたのか。多くの人の共通認識が大事だというが、複数の歴史認識にそれぞれの支持者がいて、かつそれらがどちらも合理性が相当程度あるという場合がある。そのときに野家氏が指摘するのが、その「物語りはわたしたちの未来にとってどれほど寄与するのか」という視点である。共有された「物語り」は、将来の私たちがなすべきことの指針になる。たとえば、ドイツではナチス政権は絶対悪であり、その歴史的意味について他の解釈を許さない。それは、人種絶滅政策をいかなる状況でも認めないという指針なのである。
 
ここまでくると、悩ましい結論にいたる。ある将来への意志を持たないと、歴史の解釈も共通認識も得られない。一方で、ある意志を前提として都合よくエピソードを拾う歴史記述は認められず、常に他の解釈の余地を残しておかなくてはいけない。将来の新事業ビジョンがなくては過去の歴史を語りえないが、思いが強すぎると独善に陥る可能性がある。これはジレンマである。ジレンマではあるが、「意志を持つ・示す」と「他の解釈の可能性を残す」の両立を目指すこと。両立の実現は難しいが、そのことを志向せよというのが野家氏のメッセージだろう。
 
少なくとも、過去を語るということと、未来を描くということは同じことであるということは意識したい。しっかりした社史や日報を書くためには、なんらかの未来を想定することが前提になる。「それは本当なんですか?」という問いに対し、「それが起こったかどうかについては、この証拠があるからイエス。それに対し、将来しかじかのアクションが必要になる可能性があります」と答えるべきなのだ。常にそこまで丁寧に言うかは別として。
 
だから、自分の将来と(今のところ)関係のない、したがってそこに意志を持てない応仁の乱については、わたしは語るべきではない。自分に関係のない芸能人や他社のゴシップは語るべきでない。わたしは、自分が関わっている身近でリアルな社会について、意志をもってもっと語るべきなのだ。

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