見知らぬ人を歓待することでイノベーションが生まれる (2020.11.9)

一家団らんで、のほほんとミュージックステーションなんかを見ているときに呼び鈴が鳴る。

玄関ののぞき窓から見えるのは、髪がぼさばさでよれよれの服を着た初老の男。

マスクもせずに、腹ペコなので何か食べさせてくれと言っている。

さて、あなたはどうするでしょうか。

申し訳ないが帰ってくれと丁重に言うか、どなりつけて追い返すか、110番に通報するか。

 

哲学者ジャック・デリダ氏によれば、そんなときは「どうぞどうぞ」と歓待すべし、です。

浮浪者なのか、変わり果てた知人なのか、はたまた人の良心を試す神様なのかに関わらず、無条件に扉を開け、もてなしをせよと。

もちろんできるわけはありません。

デリダ氏も言っています。それは不可能だと。

不可能だけれど、そうすることが「正義」だと。

 

人には分け隔てなく優しくしなさい、という道徳的規範を語っているわけではありません。

そのような規範はできっこないので、簡単に無視されます。

ルールとして強制されない建て前としての規範は常に棚上げされ、無視されるどころか、それを守らないことが推奨されます。

知らない人をむやみに信じてはいけません、というのは小さい子供に対する基礎教育です。

 

デリダ氏のいう「歓待」は、決してできないけれども、追い返すことに多少なりの後ろめたさを感じるべきだということ。

追い返すことが当然だと反射的に判断するのではなく、一瞬、家に入れるべきでないかと思案し、そうしなかったことの心の負債を負えということです。

では、この実践的な意味はなんでしょうか?

 

わたしたちはそんな人を家に入れるべきでないと知っています。

このとき、わたしたちはその人そのものを見ているわけではありません。

風体から判断した、非常識な浮浪者というレッテルでその人を見ています。

その人に気づいたときには、すでに既存の知識から瞬時に判断したレッテルでその人物を理解し、評価しています。

文字通り「はじめから」浮浪者として認識し、問答無用で追い返すという選択肢がオートメーションで差し出されます。

その自動的に起動する、安易な認識をデリダ氏は「暴力」として糾弾しています。

 

実は、これは「招かれざる来訪者」が現れたときだけでなく、日頃接している人やモノを理解するプロセスそのものです。

この人はこんな人、このモノはこんなモノ、このビジネスはこんなビジネスという「常識」で認識し、頭の中で情報処理しています。

それが世界が常に同じ顔で繰り返し現れる味気ない陳腐なものにし、新たな可能性に蓋をして創造性を阻害しています。

 

一切の条件をつけずに、一切の先入観を廃し、今向き合っている人やモノをその都度新たに理解し、「こうであるかもしれない」という可能性に思いを馳せることができるか。

それはとても難しく、不可能でさえありますが、そのための思考実験が「招かれざる来訪者を招き入れる」ことです。

クレーマーのような顧客、とっつきにくい上司、心を開かない部下、そしてコロナ禍のような大災害。

嫌な人、嫌なモノ、嫌なコトを見ないように蓋をすることなく、一旦は受け入れようとするプロセスを思考回路に入れる。

それらは、イノベーションの前提でもあります。

イノベーションは、明るいハリウッド映画のようなハッピーエンドの物語ではありません。

一家団らんに現れた怪しい人を受け入れる、痛みを伴った継続的な意識変革のプロセスです。

 

先日の桜橋ビジネス勉強会では、このデリダ氏の言う「歓待」を、持つべき意識・態度のシンプルな規範として「道徳」という言葉で提示しました。

さらに、ベストセラー『嫌われる勇気』の言を借り、「誰か一人とでも『横の関係をつくる』」ことがその実践の第一歩であることを示しました。

私自身が実践できているとは到底言えませんが、そうありたい、そうしようと心から思っていることは本当です。

その思いが少しでも伝わり、じわじわ伝染していけばいいなと思っています。

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