COMPANY's Dr. LOG

小説

第1話 目標さんの駆け落ち

■一

僕は経営診療所の所長。やってくる患者さんは人間ではなく、「概念さん」。経営で使われるさまざまな言葉が人間の形をして診療所にやってくる。たとえば、「目標さん」とか「コンセプトさん」とか。そういった「概念さん」の悩みを解決することが僕らの仕事。言葉の意味を確認し、経営でうまく仕えるように解決策を処方する。それが僕たちの使命。言わば、「概念さん」のかかりつけ医だ。

診療所は喫茶店の中にある。経営パートナーのバッドさんがやっている「喫茶メタフィジック」が面談室兼執務室。バッドさんは年長の、とある企業の元役員。リタイアした後、暇つぶしに友人の喫茶店を受け継いだら、おかしな概念さんがやってくるようになった。
彼ら、彼女らの悩みを何とかしてあげたいと、バッドさんが幼馴染のコンサルファームの社長に相談して、そこに勤めていたのが僕。それが縁となって、一緒に診療所を開設することになった。

バッドさんの本名は坂東さん。長身でいかつい風貌で見た目が悪そうだから、自然とそれが愛称になった。バッドは「悪い」という意味だけど、アメリカのスラングでは「かっこいい」という意味にもなるから、本人もいたって気に入っている。「かっこいいものはたいてい社会の規範からはずれた悪いもの」というのがバッドさんの信念。

バッドさんは経営の一般論も無視するし、患者さんが気分を害するようなこともはっきり言う。「うまくいったのは、運がよかっただけじゃない?」というような、それを言っちゃあ台無し、ということも平気で言う。でも、それゆえ、ついつい賢く切り抜けようとする僕にとってはありがたい。ちなみに、僕の名前は工藤で、みんなからはグッドさんと呼ばれている。こちらはいたって平和で無害な愛称だ。バッド&グッドで「概念さん」の相手をする。

患者の「概念さん」はたいていがバッドさんと友達で、彼を慕ってやってくる。今日の患者は「目標さん」。英語で言えば”Goal”。そう、年度目標とか四半期目標とかの「目標」だ。目標さんは、バッドさんにはちょっと苦手なタイプらしい。
「会社って、目標さんとの闘いだろ。常にそこにいて、プレッシャーをかけてくる。仕事をリタイヤして一番初めに感じたのは、もう目標さんと付き合わなくていいということ。解放された気分だったよ」とバッドさん。
「バッドさんでもそんな風に感じるんですね」と僕。いかつい見た目とは違って、バッドさんは心が繊細だ。
「確かに目標さんのメッセージは、君たちここを目指せ、まだまだ不十分だ、ということですもんね。でも、目標さんがいるから頑張れるということもありますよね。優勝目指してみんな頑張ろう!とか」
「まあな。でも俺は昔から目標さんとはそりが合わなくてな。彼女はなんか、偉そうなんだよ。押しが強いし、見下ろされる気がしてね」
「へえー。で、今回はいったいどんな相談なんでしょうね。わざわざバッドさんに連絡してきたんですよね?」
「彼女は気持ちの浮き沈みが激しんだ。経営の調子がいい時はみんなにチヤホヤされるけど、景気が悪くなると途端に無視される。多分何かあって落ち込んでるから、気分をアゲてほしいんじゃないかな? グッドさんがばっちり相手をするって言ってあるから、よろしくな」

■二

強い日差しのお昼過ぎ、スマホを片手に「ごめんください」と、大柄な女性が汗をふきふきやって来た。
「ああ、目標さんですね。お待ちしておりました」と僕は立ち上がって挨拶する。
女性は縦にも横にも大きな体で、派手な色使いの洋服に濃い化粧。目鼻立ちがはっきりしていて表情が豊か。第一印象はオペラ歌手で、そのまま遊園地のキャラクターにもなれそうだ。名刺を出すしぐさや椅子に座る動作など、すべての動きが大きくがさがさしていて、視野に入ると気にせずにはいられない、そんな人だ。
「バッドさん、久しぶり」と大きな声で目標さん。バッドさんはカウンター越しに小さく「どうも」と言うと、すぐに奥の厨房へ引っ込んだ。

暑いですねとか、場所すぐわかりました?とかの一通りの挨拶を僕と交わしたあと、おもむろに目標さんが相談ごとを切り出した。
「今日はね、私のことじゃなくて、社員さんについての相談なんです」
おや、気分が落ち込んでいるようではなさそうだ。
「社員さんがどうかしたんですか?」
目標さんは、ちょっとはにかんだ様子を見せながら、「わたしにグイグイこないんです」と言った。
「え?」と言葉の意味が呑み込めない僕。
「どういうことですか?」
「だから、わたしにグイグイこないんです」と彼女。
「この前なんか、社長が気前よく、わたしに到達したらボーナスをはずむって言ったんですけど、みんな知らんぷりなんです。みんなお金をほしくないんでしょうか? 『お前が大きすぎるから、営業の目標として全く機能していない』なんて言うんです。それじゃあ社員として失格でしょう?」
なるほど、そういうことか。目標が高すぎて社員の意欲に結びつかない。よくわるマネジメントの課題だ。
社員の気持ちになって改めて目の前の目標さんを見ると、派手過ぎるがゆえに現実感のない、テーマパークのキャラクターのように見えた。

そこにエプロン掛けのバッドさんがコーヒーを運んできた。長身を折りたたみ、丁寧にコーヒーカップをローテーブルの上に置いた。
目標さんは、「ありがとうございます」と言ってバッドさんを見る。
「昔は結構やりあいましたけど、今は喫茶店のマスターなんですね。お似合いですよ」とよく通る声で話しかけたが、バッドさんはそれには応えず、そそくさとテーブルを離れていった。
目標さんはコーヒーカップに一口つけた後、「バッドさんって、いかつい顔だけど、実は優しいでしょう?」と僕に尋ねる。
「優しすぎるから、わたしがいつもやり込めた感じになっちゃうのよ。でも、わたしのおかげでバッドさんの会社は随分と成長しましたから、感謝されてもいいわよね」
わざとバッドさんに聞こえるように言っているのか、声の調節が苦手なのか。きっと空気を読まずにあけすけに語るのが、生まれ持った彼女の性格なのだろう。僕はこの人と付き合う社員の苦労を想像した。

■三

「グッドさんにお聞きしますが、会社って、わたしが中心にいるべきですよね。まずわたしがいて、わたしに向かって社員が仕事をする。私のいない会社なんて想像できませんもの。それなのに、みんなひどいんですよ」と目標さんは鎌をかけてきた。

「それはどうでしょうか。いや、あなたがいなくても何とかなりますよ。だいたい、立ち上がったばかりのベンチャー企業なんかは、目標を作っても意味がないですし」
僕はあえてちょっと冷たく言った。この辺でジャブを打っておかないと、あまりに彼女のペースになってしまう。
「えっ、そうなんですか?」と大げさなリアクションの目標さん。
「でも、ベンチャー企業だって事業計画はつくりますでしょう? そのなかには私のような目標が必ずあるはずだわ」
「計画は作りますけど、たいがいは銀行向けですね。この売上になったら利益はこうなりますと。だけど、実際の仕事には関係がありません。だって、やってみないとわかりませんもん」
「そんなもんですか?」
「そんなもんですよ。目標さんの出番は、ある程度、行動とその成果の関係がわかってからですよ。それまでの目標は、ただの絵に描いた餅ですから。フェイクですね。なんでもいいんです。だから、あなたのようなしっかりとした目標さんが必ず必要かと言うと、そうではないんです」
目標さんが、ちょっと寂しそうな顔をしたのでフォローをする。
「でも、たいていの会社にはあなたが必要だと思いますよ。ある程度、仕事のサイクルが継続的にまわっているようなら、あなたがいた方がうまくいきます。みんながあなたを見て、あなたを目掛けて仕事をしますから」
 目標さんは、満足そうにうなずいた。

「私があまりにゴージャスだから、私をゲットするイメージができないんでしょうね」
「きっと高嶺の花なんでしょうね」と僕は話を合わせる。
「僕でも近寄りがたい感じですもん。社員のみなさんからは、きっと手が届かないほど高い位置にいらっしゃるんでしょうね」
「おっしゃる通りで、みんなが言うにはもっと控えめに、現実的になってくれと」
「ふーん。目標さんは、頑張ったらギリギリ手が届くところにいるのが一番いいんですよ。あなたに手が届きそうだからこそ、社員のみなさんにスイッチがはいって、あれやこれやアイデア出る。うまくいけばあなたをゲットできる。そういう流れになればいいんです」と、僕は一般論で受けて立つ。

「でも、そもそも大きな成果に向けて頑張るのが仕事でしょう。簡単にわたしが手に入るようじゃ、成長がありませんものねえ。現実的に誰とでも付き合えるような庶民になったら、私の存在意義がないと思うんです」
「目標さんは大きくゴージャスだったらいいというわけではありません。目標を決めれば、必ずできるなんてものじゃありませんよね。それじゃ精神論ですから」
「もちろん、精神論なんかじゃありませんわ。どうやったら私に到達するか、知恵を出さないと。社員のみなさんは最初からあきらめてるんですよ」

■四

「あなたが大きすぎるのか、ちょうどよい大きさなのか、私にはわかりません。というか、その水準は経営の意志ですから、外の者がとやかくいうものでありません。でも、現実にあなたが嫌われているということですし、社員の知恵も出ていないようですから、何かを変えないといけないと思いますよ」
目標さんは不満そうに、「じゃあ、社員のレベルに合わせて私の大きさを決めろと?」
「そりゃそうですよ。社員に合わせるというか、社員に適した目標さんのサイズや、つくり方があるということです」
 目標さんは、さらに不満を顔いっぱいに広げた。
「あなたのサイズは、まあ数字ということですが、どうやって決められてます? 社長のトップダウンですか?」

「各部門の意見は聞いていますけど、最終的には社長のトップダウンでしょう。どこでもそんなものではないですか。グッドさんも先ほど、経営の意志とおっしゃいましたよね」
ここで、たっぷりと間を置き、コーヒーを一口飲んでから言った。
「社長の思いを実現するために私がいるのですから」
目標さんは、今日一番のキラキラした笑顔を見せた。
「私が大きいのか小さいかなんて、気持ち一つだと思うんですよ。社長は・・・」と、ここでさらに潤んだ目になり、「社長は、自分ならできる、と思っているはずです」。
「まあ、気持ち次第という、その気持ちがとても難しいんですよ」
「私が社員に合わせて地味になっちゃったら、社長はきっと悲しむと思います」と本当に悲しそうな顔をする。うっとりしたり、悲しくなったり、忙しい人だ。

僕は、最初から話がまったく進展していないことを、あえて言うべきかどうか思案した。しばしの沈黙のあと、僕は口を開いた。
「あなたに何かアイデアはありますか? どうすれば社員があなたをゲットできるか。その手掛かりでもあればいいんですが」
「私は目標ですから、そんなこと知ったこっちゃありません。それは社員の仕事でしょう」と取り付く島もない。
目標さんがコーヒーを飲みほしたタイミングで、一週間後に連絡することにして、本日はお引き取り願うことにした。
彼女が去った後、さっきまで彼女が座っていた椅子には、驚くほど彼女の痕跡は消えていた。目の前にいるときは威圧感があるが、ひとたび姿を消すと、誰の意識からも消えてしまう。けばけばしいけど空虚な存在。舞台を降りた喜劇役者のような悲哀を感じずにはいられなかった。

コーヒーカップを手洗いしながら、バッドさんがぼそりと口を開く。
「ありゃあ社長とデキてるな」
それは僕も思っていたことだ。
「目標さんは、いつも権力者とねんごろになっちゃうんだよな。僕と一緒に仕事をしていたときもそうだった。権力者とべったりになって、『わたしに届かないのは社員が悪い』になっちゃうんだ」
「そういう関係にはみんな敏感ですからね。目標さんと社長との関係が分かっているから、みんな表立って批判はしない。でも、普段は完全無視。これじゃあマネジメントはうまくいきませんね」
「でもな、そいう惚れっぽいところが彼女のいいところなんだ。すぐ本気で好きになる。喜怒哀楽がはっきりしていて、彼女をちらと見ただけで、喜んでいるのか悲しんでいるかすぐわかる。殺伐としがちな会社の中に、そういう情念を入れるんだな、彼女は」
「なるほど。バッドさんにプレッシャーをかけていただけではないんですね」
「その濃い情念がプレッシャーなんだけどな」
「いずれにしろ、地味になりすぎるのは考えものですね。彼女のよさを残しながら、うまく機能するようにしたいですね」
「では、グッドさん、どうします?」
「ここは正攻法で。まずは方針さんをあてがってみます」
「ふーん、方針さんな。彼にも随分世話になったな。そうだな、それが常套手段だろう」

■五

目標さんの会社は、港に近い、潮の香りがかすかにするところにあった。5階建ての自社ビルで、玄関には自社製品のサンプルや、いろんな賞状が置かれていた。

方針さんは、先に来て製品紹介パネルを熱心に見ていた。方針さんはひょろっとした筋肉質で細身の体形。とにかくフットワークが軽く、待ち合わせにはだいたい先に到着している。今日もジョギング帰りのような半袖短パンのラフな格好に小ぶりなリュックを背負い、首にかけたスポーツタオルで汗をふきながら待っていた。
方針さんと合流した僕は、受付の電話で目標さんを呼び出した。

「メールでお伝えしていましたように、今日は方針さんを連れてきました」
方針さんは礼儀正しく、「方針と申します。どうぞよろしくお願いします」とさわやかにあいさつした。
「あら、なんだか汗臭い人ねえ」
方針さんが低姿勢であるばかりに、目標さんの尊大な態度が強調される。
それでも、「汗かきでスミマセン。でも、動かないと僕の意味がなくっちゃいますから」と方針さんは動じない。さすが、百戦錬磨の仕事人だ。
「運動の先生? わたしにダイエットでもしろとおっしゃるの?」
「いえいえ、違います」と僕。
「目標さんは、そのままの大きな体ででんとしていてください。手の届きにくい、みんなの憧れの存在のままで結構です」とリップサービスを少々。
「あら、そう? では、この方は何をされるの?」

「あなたをゲットするために、社員がどうやって動けばよいか、その手掛かりになるのが方針さんです」
「ふーん、確かにそんな手掛かりがあれば便利だわねえ。で、それってどんな手掛かり?」
「先に言っておきますが、これからは、目標さんと方針さんは、ぴったりくっついて離れず、一緒に行動してもらいます」
「ええ?! こんな汗くさい人と四六時中一緒ですって?!」
「はい、わたしはいつもそういう役目なんです。まずはわたしから、わたしの役割と目標さんとの関係をお話しさせてください」と方針さん。
ここからはいつもの方針さんの口上がはじまる。僕はしばらくセリフがない。

「たとえば、今の売上が5百万円のときに、目標さんのレベルが1千万円だとしましょう。で、社員のみなさんが、よっしゃ、あと5百万円売るぞ、それに向かって努力しよう!となるといいですよね」
「はい、もちろん」
「それで皆さんが動けるなら、わたしは特にいなくていいんです。まあ、いた方がいいんですが、いなくても会社は動く」
「あら、いきなり自己否定ですか?」
「はい、目標さんがそこにいらっしゃって、あなた目掛けてみんなが走れれば、その会社はいい感じです。でも、こちらの会社はそうじゃない」
「ええ、残念ながら」

「で、わたしの出番。あなたと社員の橋渡しをするんです。たとえば目標さんの売上に達するように、まずお客さんの数を増やそうか、お客さんの数を増やすにも、リピーターを増やそうか、新規のお客さんを増やそうか、とそう考えます」
「普通の考え方ですわね」
「目標の売上を上げるために、お客さん一人当たりの客単価を想定して、リピーターを100人から200人に、新規顧客を50人から100人にそれぞれ増やすことにする。こんなふうに考えますよね」
「はい、まあ、そうですわね」
「この時点で、社員のみなさんが、『よっしゃ、やろう!』と動き出せれば、それが方針、すなわちわたしそのものです」
「あら、随分簡単なのね。」
「でも、きっとそうはならないんです」
「そうでしょう。そんなことで動けるなら最初から動けるはずですわ」

■六

「そうです。問題は、動き出しがわからない。問題は『リピーターを増やすために何をするか』『新規顧客を獲得するために何をするか』です」
「そうですわね。でも、それを考えるのが社員の仕事でしょう?」
「と言っても、できていないんだから仕方がない。たとえば、『既存のお客様に来店特典をつける』『他社の人気製品とタイアップする』といった手掛かりを示して、その方法を考えていただく。こうしたらどうでしょう」
「ふうん、動き出しやすそうねえ、その方が」
「でしょう? それが私なんです。まず、みんなでここに集中して考えよう、あるいは行動しようという『領域』を示すのが私なんです」
「あら、それは大事な役割ですわね」と目標さんも納得した様子。
「わたしは、あなたが会社の真ん中で輝くためのサポーターなんです」
「そうなんですね。なんだかあなたとわたしは切っても切れない縁がありそうですわね」

どうやら、目標さんは方針さんに心を開いてくれたようだ。こうなれば、そろそろ僕の出番だ。
「目標さんがいらっしゃって、それで社員が動き出せれば、それは素晴らしいことです。でも、たいていはそうはいきません。目標さんと方針さんがセットになって、はじめてみんなが考えだしたり、動き出したりできるんです。目標さんが光り輝き、みんなが目指す存在になるためにも、目標さんには方針さんが必要なんです」
「だから、わたしたちは常にセットで動くべきなんですね」と、殊勝な態度で目標さんが言った。

「方針さんが大事な役割だということはよくわかりました。でも、方針さんがいらっしゃらないことだってあるでしょう? つまり、何をしたら私がつかまるか、皆目わからないことだって・・・」
「はい、そんなこともあるでしょう。そのときは、目標であるあなたも存在できません」
「存在しない・・・。わたしはいないということですか?」
「方針さんと一緒にいないということは、何をしていいか、手掛かりなしのノーアイデアだということです。先ほど、方針さんが『いなくていい』ときもあると言いましたよね」
「はい、そうおっしゃいましました」
「それは、社員が目標さんを見ただけで動くことができれば、ということです。そうでなければ、もはや目標さんだけでは存在価値はありません。それは単なる『願望』ですね。もしあなたが出歩くなら、必ず方針さんとセットです。出歩いて社員のみなさんに顔を見せたいなら、方針さんを連れ出せるように、考えてください。単独行動は厳禁です」
目標さんは、黙って宙を見つめた。僕の言葉を反芻して、自分の役割を確認するように。

「では、一体わたしは何ができるのでしょうか? 私は考えませんよね。目標ですから」
「はい、考えるのは社長や社員です。目標さんが形作られる過程で、必ず方針さんも姿を見せるようにしてください。そして、普段は方針さんを前に出し、あなたは後ろを歩いてください。大丈夫です。後ろにいても十分に存在感はありますから」
 目標さんと方針さんはしばらくじっと互いを見つめあった後、手をつないで、寄り添うように会議室を出ていった。思いのほか、いい感じになった。しばらくはこれで安心だ。

■七

その後しばらく、目標さんからは何の音沙汰もなかった。方針さんからは一度だけ、順調に進んでいますとの報告を受けていた。便りのないのはよい知らせ。きっとうまくいっているんだろう。目標さんの悩みを解決して、診療所としての役割は果たすことができた。
朝から温度がぐんぐん上がった真夏のランチ時、強い冷房の勢いに乗って、バッドさんが慌てた感じで話しかけてきた。

「グッドさん、聞いたかい。あの目標さんのこと」
「え? 何かあったんですか。方針さんともばっちりタッグを組んでうまくいっていると思うんですが」
「目標さんと方針さんが駆け落ちしたらしいぜ」
「ええっ!」と僕はコーヒーカップをひっくり返しそうになった。

「目標さんは、はじめて本当の自分をわかってくれる相手に巡り合ったって、社長を袖にして出ていったそうだ」
「で、社長は?」
「どうやら、方針さんへの理解がなかったようだな。そんな面倒なもんはいらねえと。目標さんがいればそれでいいじゃねえかと。目標さんはだいぶ反論したけどだめだったようだ。それで、方針さんと一緒にいられないならよそへ行きますと」
「まさか、本当に目標さんに嫉妬したんじゃないでしょうね。ゲットされそうになったのでビビったとか」
「いいや、あの目標さんのサイズじゃそう簡単に到達できるとは思わねえ。聞いた話だと、方針さんのような面倒なものを抱えるのは性に合わねえだと。そんなことは社長の仕事じゃねえと言っちまったらしい」
「目標さんを連れまわすことだけが、社長の仕事だと思っている人は多いですからね」
「まあ、それがあの社長の器だから仕方がねえな。身の丈に合った、もっと地味な目標さんをみつけることだな」
(了)

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