COMPANY's Dr. LOG

小説

第4話 顧客ターゲットさん、髪を染める

■一
穏やかに晴れた日曜日、「喫茶メタフィジック」に若い女性がやってきた。人形のように均整の取れた体形だが、服装や髪型はどことなくあか抜けない。化粧も薄く、一見、まじめな高校生のように見えた。

彼女は玄関ドアを入ったところで、「顧客ターゲットと申します」と控えめに言った。時間通りの来店だったが、僕はちょっと意外な感じがした。バッドさんから、社内恋愛の相談に来ると聞かされていたからだ。上司と付き合っているが、別れたいと思っているとのこと。僕はもっと、なんというか、「大人の女性」を想像していた。

彼女は家電メーカーに所属していて、電子レンジやオーブンなどの調理家電に関わっている。社内恋愛中の彼氏は商品企画課長。いわば彼女の上司にあたる。製品開発は顧客ターゲットさんがいることが前提だから、二人は二人三脚で仕事をしている。別れるとなれば、いろいろと仕事に支障が出るので、会社に迷惑のかからない別れ方を相談したい。そんなところだ。

バッドさんによると、顧客ターゲットさんの社内恋愛が難しいのは「構造的問題」とのこと。顧客ターゲットさんは、常に社内の彼氏・彼女のパートナーの思い込みで作られる。たいていの場合、実態とはかなり違ったイメージになる。それゆえ、互いの理解が浅いまま、いつしか疎遠になっていく。今回の相談も、そういうことじゃないかとバッドさんは言っていた。

■二
僕は名刺を渡した後、バッドさんから聞いたおおよその相談内容を話し、「そういうことであってます?」と聞いた。
彼女は「はい」と短く、低い声でうつむき加減に言った。

「えーっと、ちょっと立ち入ったことになりますが、大事なことなのでお聞きしますが、そのお付き合いしている課長さんには家庭がありますか?」

彼女はあっさりと「いいえ」と言った。あまりにあっさりしていたので、僕は確認のために、「ということは、お互い独身ということですね?」と聞いた。
「はい」と彼女。どうやら、口数が多い人ではないようだ。言葉が少ないせいで、なおさら子供のように見える。

「なぜ別れようと思ったのですか?」と聞いた時、バッドさんがコーヒーを二つ持ってきた。僕はコーヒーを一口飲んで、「ゆっくり、コーヒーを飲みながら進めましょう」と言った。

彼女はコーヒーには手を付けずに、「本当のわたしを理解してもらっていないんです」と言った。どうやら、バッドさんの見立ては当たっているようだ。

「彼が理解しているあなたと、本当のあなたは違うということですね?」
彼女はこくりと頷く。

「彼はあなたのことをどう思っているんです?」
彼女は首をかしげて言葉に詰まる。

「いい子、でしょうか」とようやく言葉にする。
「ふーん。ということは、あなたは自分でいい子じゃないと思っているんですね?」
「はい」
「では、本当のあなたはどんな人ですか? いい人ではない?」
またもや、しばらく間を置いて、「悪い人、かもしれません」と言った。
「悪い?」
「悪いというか・・・もっと・・・複雑です」
うん、そりゃあ、誰だって複雑だ。なんとなく思春期の子の相談にも思えてきた。

「いつも嘘をついているような感じなの?」と僕はカウンセラーのようにたずねた。
「なんかいつも、仮面をかぶっているようで」と彼女は言った。「仮面」という言葉に触発されて、「ふーん、ペルソナですね。マーケティングでよく使う言葉です。顧客ターゲットさんご自身が、仮面をかぶっているような気がするとは、ちょっと根が深い問題かもしれません」と僕は言った。

「わたしは顧客ターゲットですから、偽りのわたしを演じていると、いずれ商品企画がうまくいかなくなります。それは会社に対する背任ですよね。そうならない前に、彼と別れた方がいいですよね?」と、彼女は初めて具体的な意見を言った。
「ということは・・・。本当は別れたくないけど、仕事に差し支えるから別れる、ということですか?」
彼女は無言でこくり。

「一度、あなたのありのままをお伝えしたらどう?」と僕。
彼女は困った顔をして、「それじゃ、きっと嫌われます」と言った。
どうせ別れるんだったら嫌われてもいいんじゃないと思ったが、口には出さなかった。

■三
僕は、二人のデートの様子を確認することから始めることにした。スパイみたいで気が引けたが、二人の行動を遠目から観察する。会話の内容も聞き取れるように、顧客ターゲットさんにお願いして、マイクを仕込んでもらった。

最近できたばかりのショッピングセンターは、目新しいファッションブランドや雑貨店が並び、流行に敏感な若者を集めていた。今日の顧客ターゲットさんは、お出かけ用の服装だったが、やはりどこかあか抜けない。一昔前に流行った格好と言えばよいだろうか。彼氏のジョージさんは、見た感じ顧客ターゲットさんよりもだいぶ年上だ。四十歳前後だろうか。二人は、ゆっくりとさまざまなショップをのぞき、ウインドウショッピングを楽しんでいる。

「このブランドはまさに君にぴったりだね」とジョージさん。
「はい、本当にそうですね」と答える顧客ターゲットさんの声は、店で会った時よりも一オクターブ高い。
「君はこういうプリント柄が好きだよね」と、花柄のワンピースを手に取って彼女に合わせて鏡に映す。僕にはちょっと地味なように思えたが、それが彼の趣味なのだろう。顧客ターゲットさんの装いは、彼の趣味だったと納得がいった。
「はい、いいですねー、これ。こういうのがわたしたちの世代に人気があるんです」と彼女。あれ?そうなの? と僕の頭に疑問符が浮かぶ。それは本心から出た言葉ではないだろう。
「このデザインはちょっと派手過ぎだな」とジョージさんが、華やかな色合いのセットアップスーツを指さす。僕は、そういう服こそが彼女に担うと思ったが、彼女は「そうですね、これはもう少し遊び慣れている人向けですね」と同意する。

そんな感じで、商品企画課長としての職業病なのか、アクセサリー売り場でも、雑貨売り場でも、ジョージさんは彼女に向く、向かないという判断を商品ごとに次々と下していく。デートと言うよりまるでバイヤーの商品選定、企画案の決済だ。それらの「判定」に対して、彼女はことごとく同意する。顧客ターゲットさんは、ニコニコして同意するだけで自分の意見を言わないから、ジョージさんは自分の判断が正しいことを疑わない。

僕の目から見ても、彼氏を尊敬し、心底惚れ込んでいる無垢で従順なガールフレンドとしか映らない。でも、どこか上司と部下、先生と生徒みたいな関係。かわいらしい笑顔の奥には、確かに深い悩みを抱えている。彼氏が真実を知ったら、さぞかしショックを受けるだろう。

■四
少し冷え込んだ日に、顧客ターゲットさんが喫茶メタフィジックに再び来店した。

「顧客ターゲットさん、デートは楽しそうでしたね」と僕は努めて明るく切り出した。
「そうでしょうか・・・」と、低い声に戻って浮かない顔。
「いや、誰が見ても仲のよいカップルの楽しそうなデートに見えまたよ」とわざと表面的な印象だけを伝える。困ったような目で僕を見つめる彼女。
「ひょっとして、あれも演技でした?」と僕。
無言でうなずく彼女。
「ふーん、やっぱりね。さて、どうしましょう?」
「どうしましょうとは?」
「あなたが変わる気持ちがないと、永遠にこのままですよね」と僕は厳しめの言葉をかける。

ここでバッドさんが彼女に助け舟を出した。
「グッドさん、彼女の真実のレポートを書いてあげなよ。彼女に密着してさ、彼女のありのままの姿を記録して、それを彼に伝えるというのはどう?」
「自分から言った方が早くないですか?」と僕はあえて反論する。
「いや、それができりゃ、苦労はないんだけどさ。顧客ターゲットさん、そうだろ?」
 彼女はバッドさんの言葉にすがるように、大きくうなずく。
「まあ、いいでしょう。なんだか『別れさせ屋』みたいでけどね」と僕。
「いやいや、『修繕屋』になるかもしれないぜ」とバッドさん。
「わかりました、そうしましょう。あなたのありのままを知ってもらうということでいいですね」と僕は彼女に確認する。
「顧客ターゲットさんは関係を続ける気があるが、お付き合いを続けるかどうかは彼の判断に委ねる。そういうことですね?」
「はい」と彼女。

話は決まった。次はどうやって彼女に密着し、記録をするかだ。
「あのー、ちょっと言いにくいけど、おうちに行っていいですか。できれば一泊。いやいや、やましい気持ちではありませんから」と僕。
「全然OKです」と彼女はあっさり。え? いいの?
「すべてさらけ出しますから、楽しみにしていてください」と彼女が意味深なことを言う。どぎまぎした僕の心を見透かすように、さらに言った。
「わたし、意外と悪い女かも知れませんよ」

■五
顧客ターゲットさんの家に泊まる日が来た。
彼女はさすがに、事前に彼氏の了解を得た模様。
「正直に話したら、ありのままを知った方がいいと納得してくれました」とさばさばした様子。声のトーンも心なしか高めだ。
「大丈夫、彼のあなたへの思いは確かです。必ず、あなたに合わせた付き合い方を考えてくれるはずですから」

写真を撮る許可を得て、部屋全体にレンズを向ける。顧客ターゲットさんの担当業務は調理家電の製品開発で、彼氏の商品企画課長との接点もそこだから、キッチン周りの写真は詳しく撮る。一通りの撮影が終わったあとは、ゆっくりと普段通りの生活を観察しようと思ったが、予想に反して彼女が堰を切ったようにしゃべり始めた。無口だったのは、外向きの姿だったようだ。

「ここにある電子レンジなんですけど、この前うちの会社で開発したものなんですよね。一人暮らし用電子レンジ。もちろん、私がターゲットなんで、私の意見を取り入れたことになってるんです」
パステルピンク色の、いかにも女性が好みそうな丸みを帯びたデザインに、大きな液晶モニターが着いている。スイッチを入れると、そのモニターにさまざまな料理のメニューが現れ、料理の手順や所要時間が出る。加熱の工程はもちろん自動。一人暮らし用といっても、料理にこだわる人向けの製品のようだ。

「まずこのピンク色、どう思います? そりゃあ私も、製品開発会議のときにはピンクがいいって答えましたよ。だって製品サンプルは青とベージュとピンクで、このうちのどれがいい?って聞かれましたから。特にピンクが好きだって訳じゃなくて、そのうちでは『マシ』という意味だったんです。で、会議のときはまだ薄いかわいいピンク色でしたが、いざ製品になってみると、ピンクが強すぎでこれじゃあね。このピンクじゃ大昔のランドセルみたいでだめでしょ。

『一人暮らしでも料理を楽しもう』というコンセプトなんですが、ケーキとかスイーツとか、私は作らないですよ。料理がそんなに好きじゃないですし。外で食べるのは大好きですよ。会議のとき、『何か作ってみたいものはある?』って聞かれたから、『ケーキとかかな』と言った覚えはありますけど。でも、作りたいと、実際に作るっていうのは、太平洋ほどの開きがあるでしょう?だから一回も使ってないです。

もうとにかく、普通にチンするだけです。機能が多すぎてわかりません。だって手の込んだものは、そういうものは買ってくればいいんだから。じゃあ、安いのでいいかって? そういうのは「温まればいいんだろ」的なオーラがばりばりで、全然かわいくないですよね。デザインは可愛い方がいいです。でも、じゃあピンクってのは男の発想。そんな単純なことではないですよね。一人暮らしの部屋のキッチンに合うようなのがいい。でも無機質なのはいや。病院みたいで。他の家具や雑貨と調和するもの。たとえば、そうねえ、アールデコ風なのがわたしは好きかな。

ネットで探せばそういう製品もあるけど、たいていは知らない中国か韓国の会社。知らないメーカーだと、機能が悪くてすぐ壊れると思っちゃう。サイトの評価だけはめっちゃ高いけど、そんなの誰も信じてないよね。ちゃんと温めることがちゃんとできるのが一番。当たり前すぎますか? 温度にむらがあるのはいや。すぐ壊れるのも嫌。そこがしっかりした製品を作ってほしい。そういったところの違いが分かるようにアピールしてほしい。結局は生活の道具だから。ちゃらちゃらしたものはいらないのよ」と次から次へと堰を切ったように言葉が出る。

「チンするごはんも結構おいしいですよね。うちの会社、炊飯器も作ってるけど、コシヒカリ用とかいらないから、チンするごはん用とか、レトルトカレー用とかの機能をつけた方がいいんじゃないですかね。

そもそも電子レンジって、奥行きがあるから、結構置き場所に困るんですよ。一回会議で言ったことあるんですけど、皿がでかいんだから仕方ないだろって一蹴。家電メーカーの守備範囲外だって。そんなこと言ってるから、つまんないものしかできないって思いません? 大体、どこに置くことを想定して作ってんのかな? どのくらいの高さに置くのが正解とか知りたい。あっ、炊飯器も置く場所に困りますよね。水蒸気が出るから。グッドさんどうしてます?」

ええと、一人暮らししてるときはどうだったけ? と考えているうちに彼女はさらにしゃべり出す。

■六
「大体、レンジで料理をするって、イケてるんですかね? レンチンだけの彼女って、格好悪い? ちゃんと料理ができる女の方がいいのかな? そもそも、レンジだけで生きていけるのかな? それじゃあ健康に悪いのかな? 自分で作るのと、お総菜買ってきてレンチンするのと、外食と、お金はどれだけ違うのかな? 

まあ、でも正直、レンジのことなんてどうでもいいですよね。使うのは一瞬ですもんね。こんなこと、会社では口が裂けても言えませんけど」と笑いながら辛らつなことも話し始める。でも、確かに、電子レンジを常に気にして生きている人はいない。それに対してメーカーの開発者はずっとレンジのことを考えている。そこにいろいろな問題が生るのは確かだ。

「ペット買いたいなあって思ってるんですよね」と、突然話題が変わった。「昔から柴犬が好きなんですよ。でもこのマンションじゃ飼うのはだめ。だから、結婚してファミリー用の家に引っ越したいなあって思う時も。ペットのために結婚するってわけじゃないですけどね。グッドさん、結婚してよかったですか?」と逆質問を受ける。これまた、答えに窮している矢先に彼女が続ける。

「でも、結婚したらどんな家電がいいのかな?」とまた家電の話に戻ってきた。
「電子レンジ要りますよね。ああそうそう、レンジ使うとWi-Fi環境悪くなりますよね。オンライン環境よくするためには、どのキャリアと契約するのがいいですか?」というような具合で、話があっちへ行きこっちへ行きと、彼女の話は延々と続いた。

すっかり外が暗くなったころ、いきなり「お腹空きましたね」といって、キッチンで手早く料理を作り始めた。プライベートの彼女はとてもマイペース。彼氏の言いなりだったデートの様子とは別人だ。料理をしながらも、このレンジの液晶モニターのフォントが見にくいとか、キッチンのコンロの配置が悪いとか、食器の収納に困ってるとか、言葉が途切れることがない。僕はレポート用として彼女の言葉を録音していたが、これは膨大な書き起こし作業が必要だなと覚悟した。

夕食後も、まるで修学旅行の夜のように、プライベート、仕事、家族、ファッション、恋愛などなど、話したいことが山ほどある風だった。枕投げこそしなかったが、僕は彼女の話に夜通し付き合い、気が付いたら空が白んでいた。

朝食を食べながら、「グッドさんにたくさんしゃべったら、すっきりしました。一年分くらいしゃべったかな。多分、もう少し自分が出せるようになれると思います」と彼女が言った。
「いろいろ、会社の悪口も言っちゃいましたね」と彼女がおどけながら言う。
「うん、まあ、でも悪口というより、愛のある正直な意見ということでいいんじゃないですか」と僕が答える。これは本心だ。
「わたし、悪い女だったでしょう?」と彼女。
いや、別に変な誘いを受けたわけでもなく、きわめて健全な、小学生同士のキャンプファイヤーみたいだったけど・・・

「だってグッドさんを誘いませんでしたからね」と言ってけらけら笑った。

■七
後日、僕は顧客ターゲットさんの実態を赤裸々に記述したレポートを彼氏の課長に提出した。これまで語られていた顧客ターゲットさんの像は思い込みで、実態とは相当に乖離していることを伝え、今後に向けた僕の意見を付記した。彼女をターゲットとした電子レンジ開発においては、基本性能のグレードを明確にすること。また、キッチンや、食事メニューや、健康管理など、電子レンジという機器単体ではなく、料理全体のエコシステムと関連付けたマーケティング施策の必要性も示唆した。

彼氏は僕のレポートを一言一句読み込み、今後の仕事と、彼女との関係づくりに生かすと約束した。

長雨が続いた後のしばらくぶりの秋晴れの日に、顧客ターゲットさんが喫茶「メタフィジック」にやってきた。店に現れた時、すぐには彼女と気が付かなかった。服装があか抜け、髪の毛の色も明るい色に染め、見違えるほど大人っぽくなっていたからだ。女性としての魅力に圧倒され、僕の鼓動は速くなった。

「グッドさん、バッドさん、こんにちは」と、相変わらず声は低いが、今日はぐっと魅力的なハスキーボイスに聞こえる。
「やあ、グッドさんと悪いことしなかった?」とバッドさん。
「しましたよ」と彼女。えっと驚く僕の顔を見て「ウソです」と。いつの間にかからかわれキャラになってしまった。
「あれから、彼氏とちょっと別な問題が出てきまして」と彼女。
順調に付き合っていると聞いていた僕は驚いたが、彼女の顔を見る限り、それほど深刻そうな風ではない。
「どうやら、会社の方針で、わたしのような二十代をターゲットにするのを止めるかもしれないんです」
「製品開発のターゲットを変えるということですか?」と僕。
「もっと年齢が上の世代にターゲット変えるとか。やっぱり嫌われちゃったみたいです。グッドさんのせいですね」と彼女が笑いながら言う。

「でもね、実は、他の会社からヘッドハントされているんです」と彼女。
「ライバルメーカーが、うちの製品開発に協力してほしいって。それで、乗り換えてみようかなって」と彼女。
なるほど。真実の顧客ターゲットさんにふさわしいパートナーは、もっとたくさんいるのは間違いない。
「それも選択肢ですね。思い切ってやってみたらどうですか」と僕。
「彼氏を乗り換えるなんて、悪い女だと思います?」と彼女が上目遣いで聞いた。
「いや、それが大人として生きるということだと思うよ」と僕は答えた。

(了)

一覧へ戻る